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プラットフォーム:CADDI(キャディ)と鎌倉新書

プラットフォーム:CADDI(キャディ)と鎌倉新書

CADDI(キャディ)、2019年5月29日朝NHK news放映。

https://corp.caddi.jp/news/

鎌倉新書、2019年5月24日日経で紹介。

http://ks-pr.hatenablog.com/entry/2018/05/29/163116

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小林信彦3:『オヨヨ島の冒険』

1970年。この本が小林信彦作品と知り合った最初の機会である。極めて順当だと思う。よく売れたからである。山下達郎とRide on Timeでめぐり合うのと、大瀧詠一とA Long Vacationでめぐり合うのと同じだ。文庫本であり、たしか星新一が好きだった3つ違いの姉の書棚から文庫本で読んだのだと思う。おそらく小学校中学年3年か4年だったろうから1977年頃。角川文庫には1974年に収録されているし、読んだ時にはもう文庫本は古びていたから、そんなものだろうと思う。

この本は画期的だった。まず大人も子供も本能で動いている。軽い。そして大人は軽薄でサブスタンスがないように見える。しかし、子供にはサブスタンスがあるように見える。そして小説に喜劇味があった。名作である。ニコライ・ニコラスはコント55号がモデルらしいのだが(『オヨヨ城の秘密』あとがき)、そんなものかと思ってしまう。

次は『怪人オヨヨ大統領』(1970年)である。

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小林信彦2:『冬の神話』

1966年。傑作だと思うが、あまりにリアルで読むのが辛い。どこにも救いがない。『蠅の王』の救いはSFにも似たファンタジー性だと思うが、埼玉県の秩父地域(?)の現場があまりリアルで辛い。ある種の戦争小説の傑作だ。

疎開小説は戦争小説の1カテゴリーであることを証明している。そして、疎開小説は孤島小説(ジュールヴェルヌの『十五少年漂流記』やゴールディングの『蠅の王』など)でもあるのだ。

この小説の良さは「大衆」(疎開に参加した生徒たち)がいるところだ。浅田も青木も「大衆」の支持を受けて指導者となる。それは級長である「私」も同じことだ。その意味では「私」は大衆をつかまえそこなっている顛末を書いた小説でもある。

日本人の「いじめ」に文化性、国民性があるとしたら、ここに反映されているはずだと思う。そういう点から小説を読むのは文学・社会学の研究としてありだと思う。

次は『オヨヨ島の冒険』(1970年)である。

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小林信彦1:『虚栄の市』

1964年発表。サッカレイ『虚栄の市』をふまえているはずだが、私はサッカレイは未読である。なにしろ『小林信彦の仕事』所収の「小林信彦が愛読した101の小説」に私の好きなコンラッド『ノストロモ』やゴールディング『蠅の王』は入っていないので、趣味は同じではない。

この小説はいわゆる文化事業で俗人が交錯して生きるという話だ。善人は一人も出てこない。優秀な人は英文学者・蓮池昌作だけであるが、この人も極めて特異な俗人なので大変である。ある種の優秀さが本質となってストーリーの<錨>となると読み手としては安心できるのだが、蓮池氏によりかかるわけにはいかないので読者は大変である。サブスタンス=本質がなくても生きていけるという人生賛歌なのかもしれない。そもそも本質なんてない、という脱構築の同時代表現なのかもしれない。

業界内幕本の形式としては『怪物がめざめる夜』(1993)と似ているのだが、『怪物~』は数段優れている。客、「大衆」がいるところである。『怪物~』はポピュリズム(大衆迎合主義)小説として読めるが、本書はそうではない。

次は『冬の神話』(1966年)である。

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小林信彦0:『小林信彦の仕事』

『さて本書は”<第Ⅱ期小林信彦>への完全研究読本”である』と編集後記に書いてあるのだが、どうもいつ第Ⅰ期が終わって、いつ第Ⅱ期が始まったのが一目瞭然ではない。なにしろ冒頭の小林氏による「転換期の文学1988」では、自分の仕事の<第一部>が終わったと書いているのでややこしい。おそらく細密に読み返せば、判明するのだろうが、そこまでの気力がいまはない。

冒頭から愚痴を言っているが、しかし、本書は自筆年譜と著作目録があるという点で極めて有益である。また、各著作への「代表的」な書評も収められていることも非常に有難いつくりになっている。

ということで、著作目録に基づいて古い本から私的コメントをしていこうと思う。

まずは『虚栄の市』(1964年)である。

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東銀座

http://www.ginza-yoshizawa.com/


 


https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13013277/


 


https://www.ginza-ibuki.com/sp/


 


https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13199649/

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5/11日経一面記事

備忘録。5/11日経一面記事。マクロとミクロの混同じゃないかしらと疑う。景気の変動で一般物価は決まる。関税は相対価格に影響を与える。彼地の景気悪化に合わせて関税をぶつけるのは、ある種の戦術だとは思うが。

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細野昭雄『南米チリをサケ輸出大国に変えた日本人たち:ゼロから産業を創出した国際協力の記録』(ダイヤモンド社、2010年)

細野昭雄『南米チリをサケ輸出大国に変えた日本人たち:ゼロから産業を創出した国際協力の記録』(ダイヤモンド社、2010年)


ことによると細野先生の代表作を一冊選べと言われたら、私は本作を選ぶかもしれない。南米チリ国のサケ養殖業をゼロから立ち上げた軌跡を時期区分しながら分析叙述した好著である。

表題には「日本人たち」とあるが、チリ人たちも大きく取り上げられている(第7章)。詳細な年表もつけられている(pp.40-41)。バリュー・チェーンの視点から、餌の問題もとりあげられている(第5章)。それはクラスターとしてもまとめられている。

日本/チリ・サケプロジェクトの当初は、回帰モデルを考えていたのではないかと思うが、それが養殖に切り替わった時に対応できたのは良かったように思う。

サケの海面養殖を事業として最初(1978年以降)に成功させたのはニチロである(p.48)。

法律面にも筆は及んでいる(第4章)。

p.78には、「図表6チリのサケ産業の確立・発展の条件とプロセス」と題された図表が掲載されている。ここでは技術開発と産業人材養成が特筆されている。

Iizuka Michiko (2008)が最も詳細な研究だと指摘している(p.157)。

産業発展からの時期区分では、準備期(海外から技術を導入し、同時に、産業人材の育成を開始する)、産業の確立期ないし事業化期(事業化の可能性を実証する事業化調査をおこなうひつようがあり、それに基づいて必要な投資資金を確保して事業化をおこなうのがベンチャーキャピタルである)、事業化が終わって発展期に移った直後の発展期初期、ここまでは1970~1980年代としているようだ。さらにそれ以降の時期(1990年代後半から今世紀にかけてのサケ産業の拡大しつつあった時期)を考えている(p.157)。

準備期から事業化期の活動は市場経済下では民間企業自身がおこなうのは、途上国では容易ではない(p.157)。ロドリックのOne Economics Many Recipesが参照されている。

日本/チリ・サケプロジェクトの貢献はp.160の図にまとめられている。

「チリのサケ産業の成功の要因に関する研究は、まだ十分ではない。今後さらに本格的におこなわれることが期待される。」(p.159)と述べられている。

 

[コメント]

人材育成のほかは、卵と餌の話が援助としては重要な気がした。回帰モデルは失敗したからである。

産業発展については、大塚先生の研究などと対比させることが有益であろう。

凧揚げモデルのような気がする。風が来るときに凧を引っ張っていなければ凧は上がることはない。

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