« January 2019 | Main | March 2019 »

巣鴨、ラーメンとバーの覚書

ラーメン

麺や いま村
意外とさっぱり。平日昼で空いていた。~22:30
バー
TOMITAYA 富田屋
この他、未踏だが、
アワーグラス
ユルリ バー
があるらしい。

| | Comments (0)

二月大歌舞伎、夜の部。素晴らしい。

二月大歌舞伎、夜の部。素晴らしい。
---
感想メモは以下の通り。言わば菊吉の絶頂。菊五郎は夜いないけど。
一番目は時代物、熊谷陣屋。相模(魁春)が繊細。軍次(又五郎)は実直。熊谷(吉右衛門)、花道にすっと出る。藤の方(雀右衛門)、品を表し、義経(菊之助)は格を保つ。熊谷、制札の見えはきっちりと。首実験は丁寧。相模のクドきは痛切。弥陀六(歌六)は複雑な設定を説得的。三度目の熊谷の出は吹っ切れた様子。最後の花道は圧倒的。義太夫語りは葵太夫、歌舞伎義太夫として絶品。
二番目は踊り、曽我物で春駒。左近、五郎を演じて眼玉が大きく、腰すわり、将来の荒事、蘭平物狂など楽しみ。周りは引き立てる。梅玉、又五郎、錦之助は納得。米吉、梅丸は綺麗。
三番目は新歌舞伎で生世話物、名月八幡祭。美代吉(玉三郎)、三次(仁左衛門)の千両役者たちを得て、松緑の当たり芸、前回も良かったけれどあらためて代表作の一つと確認。田舎出の実直な商人が江戸の都会の人々に狂わされてしまう。歌六、梅花、歌女之丞、京蔵、ぴたりと芝居の額にはまる。京由、セリフ0だけど綺麗だった。
***
「名月八幡祭」の三役。
松本女房おつた(序幕第一場 深川八幡二軒茶屋松本)、魚惣女房お竹(序幕第二場、浜魚惣裏座敷)、美代吉母およし(二幕目)と中年女性を演じる三役があった。今回は、それぞれ京蔵(京屋)、梅花(京扇屋、先代の芝翫丈の弟子、2016年10月幹部昇進)、歌女之丞(成駒屋、歌右衛門の弟子、2014年4月幹部昇進)が演じた。いずれも国立劇場歌舞伎俳優研修の卒業生であり、それぞれ第六期、第二期、第二期である。役として、せりふの多さ、出演時間からして、およし>お竹>おつた、であろう。そして、いま書いたように歌舞伎経験年数+位で言うと、まさに歌女之丞>梅花>京蔵であるので、そう役がついたかもしれない。
しかし、役の性格・特徴を考えると、まさに松本女房おつた(序幕第一場 深川八幡二軒茶屋松本)、魚惣女房お竹(序幕第二場、浜魚惣裏座敷)、美代吉母およし(二幕目)には、京蔵、梅花、歌女之丞だと思う。
まず、セリフが長く出演時間も長く、美代吉と新吉の関係に深く関わる「およし」には歌女之丞がぴったりだ。歌女之丞には出自の貧しさを表す演技力がある。もちろん、梅花や京蔵にも演技で出せるのだろうが、年数や位を考えずにここが決まる。次は、「お竹」だ。京蔵もできるのだろうが、梅花がよりはまる。梅花がよくやってきたのは大店のお嬢さんに使える年上のお手伝いさんである。そこから考えると、魚惣女房お竹には色気と格が必要になるが、そこを演技力で補っている。色気が出せるんだなぁと感心した。とすると、残るは「おつた」であり、先輩の京妙(京屋、第三期)もいるが、可愛い役者さんなのでこちらは手古舞に回して、京蔵が入る。手古舞と「おつた」とどちらが良い役かは難しいが、おそらくは「おつた」のほうがわずかに良い役だと思う。そこに、京蔵を配しても俳優の特徴からして順当なのかもしれない。もちろん、京蔵も手古舞はするし、京妙も茶屋の女房はできる。
役のしどころ、俳優の性格と、役者の年季と格が合ってよかった。おそらく、梅花も「およし」をいつかはやれるようにと精進するのだろうし、京蔵も「およし」や「お竹」をやれるようにと精進するのだろう。
さて、2年前2017年6月の「おつた」「お竹」「およし」はというと、それぞれ「市川段之(初代)」「坂東竹三郎(5代目)」「尾上辰緑(初代)」だった。猿之助が三次だったので、澤瀉屋の段之が入り、猿之助がよくお願いするので竹三郎さんが決まる。そして、音羽屋なので辰緑さんだったのだ。そして、辰緑さんは今回は呉服屋手代重助であった。この役は二幕目の冒頭に「およし」と絡み、全体のトーンを二人で醸し出す重要な役だ。ここに辰緑さんを配置するというプロデューサーの手腕だ。辰之助追善なので辰之助に入門した辰緑さんは厚遇したいという配慮も定まる。
猿三郎さんブログによれば、配役について名題には順番に電話がかかってきて、断ることができると言う。つまり、take it or leave itである。右若と猿紫の出演した歌舞伎夜話レポートによれば、電話には順番があるという。おそらくは名題昇進の順番であろう。幹部がどうなのかはわからないが、おそらくは似たようなルールがあるのだろう。つまり、歌女之丞、梅花と幹部が決まってから、京妙(1987年昇進)、京蔵(1994年)、辰禄(2000年)と電話が回ったのだろう。

| | Comments (0)

『編集委員 古賀重樹、「ローマ」が描く1970年。』に思う。

編集委員 古賀重樹、「ローマ」が描く1970年。
2019/02/23 日本経済新聞 夕刊 12ページ 771文字
「1969年のアポロ11号の月着陸は忘れられないね。僕もメキシコシティの家でテレビにかじりついていたよ」
 「ゼロ・グラビティ」(2013年)の公開時に来日したアルフォンソ・キュアロン監督は目を輝かせながらそう語った。キュアロンと記者は同じ1961年生まれで、誕生日もわずか6日違い。ほとんど地球の裏側にいた7歳の少年同士が同じ体験を共有していたことに奇妙な連帯感を覚えた。あれから50年である。
 「宇宙開発は人類の英知であり、祝福すべきことだ」。そんなキュアロンの楽観主義は少年期の原体験に根ざす。後にささやかれた「月着陸は米国のフェイクだ」という陰謀論など一笑に付す世代だ。85年生まれのデイミアン・チャゼル監督がアームストロング船長を描いた新作「ファースト・マン」のリアリズムに、記者は堅苦しさを感じた。これも世代のせいだろうか。
 キュアロンが自身の少年期を描いた新作「ROMA/ローマ」をネットフリックスで見た。配信作品でありながら、ベネチア国際映画祭で金獅子賞を射止め、スペイン語映画なのに、あす発表される米アカデミー賞で作品賞など最多の10部門にノミネートされた話題作だ。メキシコシティのコロニア・ローマ地区の中流家庭で働いていた先住民族の家政婦の日常を描いている。
 人類が初めて月に立った翌年の70年から71年までの物語だ。記者はまだ見ぬメキシコシティの光景に既視感を覚えた。露天商、市電、どぶ川、泥道、犬のふん、映画館の紫煙、テレビを囲む家族、宇宙遊泳、フォルクスワーゲン、武術の流行、学生デモ、そして女性の苦しみ……。
 1970年のメキシコと日本はこんなにも近い。それは均質化していく世界の都市の姿をも示している。月からの中継が世界に同時に流され、人々が共に歓喜した時代。そこに郷愁を感じるのは、おめでたい世代なのだろうか?
***
はい、おめでたい世代だと思います。記者は文化記事、特に映画記事が専門。「1970年のメキシコと日本はこんなにも近い。それは均質化していく世界の都市の姿をも示している。」本当でしょうか。1970年のメキシコシティ中産階級社会と東京は圧倒的に違う。それは住み込みのお手伝いさんの存在だ。それを「先住民族の家政婦の日常を描いている」と書きながら「女性の苦しみ」としか表現せず、「1970年のメキシコと日本はこんなにも近い」と表現してしまう知性を疑う。せめて、<こんなにも近い、されど、こんなにも遠い>と表現して欲しかった。
日本には、市原悦子さんの代表作「家政婦は見た!」のように家政婦はいないわけではない。しかし、1970年の中流家庭にはいなかった、はずである。この人の家にはいたのか?いないはずだ、なぜなら、いれば家政婦のおかれた境遇に思いを馳せらせる映画だからだ。ということは、この人には見えないのだ。
こちとらは映画館でやってくれないかなとばかりに、ネットフリックスで観るのを待っているのに。

| | Comments (0)

小島 寛之 (著)暗号通貨の経済学

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 2019/1/12
小島 寛之  (著)
サミュエルソン(1958)、ディプケ=シュナイダー(2017)、コチャラコッタ(1998)、清滝=ライト(1989)で暗号通貨を経済学的に解説している。

| | Comments (0)

本日おこなったこと。

本日、正当かつ無料でaaxファイルを手に入れ、それをOpenAudible.exeでmp3に変換すると夢想した。

| | Comments (0)

坂井 豊貴 (著)『暗号通貨VS.国家 ビットコインは終わらない』

暗号通貨VS.国家 ビットコインは終わらない (SB新書) 新書 – 2019/2/6
坂井 豊貴  (著)
著者が言うように、参考文献がしっかりついているのが良い。貨幣の本質は「交換の媒介」と言う(p.44)。

| | Comments (0)

牧野 邦昭『経済学者たちの日米開戦』リファレンス

経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く (新潮選書) 単行本(ソフトカバー) – 2018/5/25
牧野 邦昭 (著)
p.152 (39)
p.260
A Cross-Cultural Exploration of the Reference Dependence of Crucial Group Decisions under Risk: Japan's 1941 Decision for War
詳細のみ利用可能
Levi, Ariel S.; Whyte, Glen; Journal of Conflict Resolution, December 1997, v. 41, iss. 6, pp. 792-813, データベース: EconLit with Full Text
白山図書館
逐刊電動C洋
P361:J-2

| | Comments (0)

今村 仁司『交易する人間(』

交易する人間(ホモ・コムニカンス) (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) –
2000/3/10
今村 仁司  (著)

| | Comments (0)

MASTER TAPE ~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~(2010)

三曲目、「きっと言える」、細野さんのガット・ギターが、彼の言うように、Bahia、ブラジルの音だった。

| | Comments (0)

『名盤ドキュメント ソリッドステートサヴァイヴァー』を観る

名盤ドキュメント ソリッドステートサヴァイヴァー』を観た。

Behind the Maskの分析にあるように「再構築」。壊すことではない。その意味で、restructuring。三名がスタジオに山のようにレコードを持ち込んで、こういう音をつくりたいと参考にしていたことも同じ話。
未完のプロジェクトの話にしてもつまらない。再構築で盤をつくりあげた話が良い。

| | Comments (0)

野宮真貴×坂口修インタビュー

野宮真貴×坂口修 #1

野宮真貴×坂口修 #2
インタビュアー:速水 健朗 おぐらりゅうじ

| | Comments (0)

FUTURES/Burt Bacharach (1977年)

FUTURES/Burt Bacharach (1977年)

アルバムについての説明はこちらが詳しい。自分のiPodのシャッフルで2曲目のFuturesがかかって、「なんだこの曲は?」となって、CDを購入。なるほど、先の説明によれば、自伝でも言及されず、非常に変なアルバムだとのこと。
とはいえ、1977年に2曲目のこのFuturesのサウンドはとても不思議。アルバム解説によれば「フュージョン」として扱われている。Bebu SilvettiによるSpring Rainが1976だから、そういうtasteなのかもしれない。この不協和音みたいな音で始まるところが凄い。そして、David Sanbornがフレーズを吹いて、音を進行させていく。
フュージョン作者Bob Jamesのアルバム制作年を見てみると、
Two (1975)
Three (1976)
BJ4 (1977)
Heads (1977)
Touchdown (1978)
なので、こういう時代である。
なぜiPodに入っていたのかというと、Burt Bacharach, Anyone Who Had a Heartの5枚目Burt Plays Bacharachに収められているからである。つまり、それなりに認められていることになる。

| | Comments (0)

Introduction to Microeconomics of Banking

This lecture called Introduction to Microeconomics could be better renominated as Introduction to Microeconomics of Banking.

| | Comments (0)

« January 2019 | Main | March 2019 »