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18代目勘三郎が起こしたのは「革命」ではなく「復興」だった。

18代目勘三郎が起こした「革命」は一代限りで終わるのか」に一言二言。

数々のエピソードは、18代目勘三郎が起こしたのは「革命」ではなく歌舞伎の「復興」であったことを指し示す。
  1. 串田氏との歌舞伎では古い脚本をやろうとした。
  2. 従来から歌舞伎作品では古い写真や芸談を参考にした。
  3. 歌舞伎では三味線が導入されたことを念頭に、江戸時代にエレキギターがあれば歌舞伎でも導入したであろうと妄想した。
  4. 彼が建てたのは「平成中村座」であり、中村座の座元としての中村勘三郎をこれほどまでに意識した名前はない。定式幕にも明らかである。そして、その本気度に盟友である坂東三津五郎は「平成中村座」に守田座の座元として出演することはなかった。
  5. 法界坊では17代目のやり方の否定、盛綱陣屋でも17代目のやり方に異を唱えようとしたがビデオを見てみると納得していた。
等々。オクタビオ・パスが『曇天』で言うように、revolutionは「戻る」意味が原義であったが、現代ではそうではなく過去との切断に重きがおかれている。復興とはreconstructionもしくはrejuvenationで捉えよう。印象が強いとすれば、革命的な復興であったのだ。しかし、どちらかと言えば保守本流であったと言える。そこは、猿之助に対する当初の感情と、白鴎=幸四郎「ラマンチャの男と」への好感にも通ずる。どちらかと言えば、3代目猿之助が革命であり、18代目勘三郎は復興であったのだ。これは、3代目猿之助が「京鹿子娘道成寺」を苦手とし、18代目勘三郎が好んでいたことにも関係するだろう。
復興された歌舞伎において、勘九郎・七之助が「継承」しようとし、「父だったらどうしようとするのか」と考えるのは当然である。3代目猿之助の袂をわかった亀治郎が4代目猿之助として復活するのもよくわかる。ワンピースを再演させた4代目猿之助に革命性が無いとは誰も言わないだろう。
なお、歌舞伎座 1994年 1月の演目は次の通り。昼の部は春霞猿若舞(ハルガスミサルワカマイ)、平家女護島(ヘイケニョゴノシマ)、新版歌祭文(シンパンウタザイモン)、お祭り(オマツリ)。夜の部は一条大蔵譚〔鬼一法眼三略巻〕(イチジョウオオクラモノガタリ〔キイチホウゲンサンリャクノマキ〕)、弥栄芝居賑(イヤサカエシバイノニギワイ)、人情噺小判一両(ニンジョウバナシコバンイチリョウ)、春興鏡獅子(シュンキョウカガミジシ)。春霞猿若舞と春興鏡獅子は勘九郎(18代目勘三郎)である。筋書をきちんと読まないといけないが、弥栄芝居賑のみが追善興行というのはどうだろうか。平家女護島、お祭り、そして一条大蔵譚なのだ。当時、18代目は38歳。
おそらく2018年10月歌舞伎座は、平成中村座だけで追善をやろうと思っていた勘九郎・七之助に松竹が追善を申し出たということであろう(インタビューで確認)。玉三郎、仁左衛門、白鴎が演目を提供するのは極めて自然であろう。現在、勘九郎は36歳。
比べなければいけないのは、歌舞伎座 2000年 4月の十七代目中村勘三郎十三回忌追善四月大歌舞伎。つまり六年後。演目は、昼の部は平家女護島(ヘイケニョゴノシマ)、舞鶴雪月花(ブカクセツゲッカ)、梅雨小袖昔八丈(ツユコソデムカシハチジョウ)。夜の部は一條大蔵譚〔鬼一法眼三略巻〕(イチジョウオオクラモノガタリ〔キイチホウゲンサンリャクノマキ〕)、口上(コウジョウ)、鰯賣戀曳網(イワシウリコイノヒキアミ)、鏡獅子(カガミジシ)なのだ。
1981年生まれの勘九郎(当時、勘太郎)は19歳で鏡獅子を踊っている。さすがに今の勘太郎は13歳。まだ鏡獅子は無理だろう。でも、連獅子はいけるだろう。

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