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劇場文化というエコシステム

劇場文化というエコシステム
以下は【参考1】の引用である。「劇場文化とは、劇場・観客・アーティストで構成される生態系」のことと定義されている。ビジネスでもエコシステムという言葉が使われているが、エコシステムというニュアンスを知るためにも、こういうところから入るのも悪くはないかもしれない。村歌舞伎のようなものをイメージしてもいいのかもしれない。
経済学では市場と需要と供給という。観客が需要、アーティストがサービス供給であるとして、エコシステムが市場?劇場は制度・組織?Institutional EnvironmentとInstitutional Arrangementの区別も面白くなってくるかもしれない。
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岡田 ロームシアター京都は「京都に劇場文化をつくる」と謳ってるでしょう。どうってことない言葉に思えますけど、じつはすごいこと言ってる。大事なのは、まさに観客なんです。劇場とアーティストがいい関係をつくるのは、そんなに難しいことじゃないですよ。
──距離も近いですしね。
岡田 観客との関係を考えるときに、アーティスト本人のモチベーションは必ずしも優先されない。どちらにしろ、アーティストは好き勝手にやってしまうところが大いにあるし(笑)。
要は劇場文化って、劇場・観客・アーティストで構成される生態系ってことですからね。作品が、その評判の是非云々という以上に、劇場文化っていう循環的システムの一部として捉えられるようになったらすごいですよね。劇場がレパートリーシステムを掲げるって、そこを目指していくことなんだと、僕は解釈してます。そうなると劇場は、演出家や劇団に作品の責任を押し付けるような感覚には、当然、ならなくなる。
木ノ下 本当にそうです。劇場は、お客さんに直接は触れられないわけでしょ。接客とかホスピタリティを通しての交流はあるけど、本質的に作品を通してしか観客とつながることはできない。もちろんね、さっき岡田さんがおっしゃったように、アーティストは究極的には自分のための作品をつくっているのであって、観客や劇場のことなんて知ったこっちゃない、って思う瞬間は当然あります。
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さて、このエコシステムが破綻している状況を見たければ、歌舞伎鑑賞教室に行くと良いと思う。劇場とアーティンストとは「頑張っている」が、一階席から劇場の大部分を占める生徒たちはまったくエコシステムに入っていない。すると二階席後方の「歌舞伎ファン」たちが熱心に見たとしても、結果として劇場で行われる演劇はエコシステムを欠いたものとなる。
八月歌舞伎でおこなわれた『野田版 桜の森の満開の下』にも同様の問題があったように思う。これまでの『桜の森の満開の下』の支持者からは総じて好意的に捉えられたように思う。一部には熱狂的な支持者もいたであろう。しかし、歌舞伎見巧者や評論家たちからは、一部に疑問が呈されたとも思う。
歌舞伎座には固定の観客がいる。若いアーティスト(=歌舞伎役者達)達は、外に開いて新しい要素を取り入れようとする。猿之助然り、菊之助然り、中村屋然りだ。歌舞伎座の観客達は多少はうろたえながら、それについて行こうとしているようだ。その感じがほほえましい。
【参考1】
アーティストと劇場と観客の「ただならぬ」関係。レパートリー作品が拓く未来とは?(前編)
http://rohmtheatrekyoto.jp/features/6892/
【参考2】
アーティストと劇場と観客の「ただならぬ」関係。レパートリー作品が拓く未来とは?(後編)
http://rohmtheatrekyoto.jp/features/6969/
【参考3】
国境を越える舞台芸術――移動するアーティストと変化する舞台表現
日米現代演劇・パフォーマンス研究、内野儀氏インタビュー
http://synodos.jp/culture/20186

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