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Reborn

門脇麦

山下達郎

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中村七之助丈の凄さ

中村七之助丈の凄さ
その一部を言語化できそうなのでメモ書きしてみます。七之助の演者としての素晴らしさについてはツイッターで「七之助」で検索してくれれば、『刺青奇偶』でのお仲と『桜の森の満開の下』での夜長姫について山のように出てきますので、そちらをご覧ください。ここで私が書き留めておきたいのは、演目の船頭=先導としての才覚です。
芝居というのは、毎日お客さんが異なる。人気演目ともなればリピーターももちろんいらっしゃいますが、それはごく一部で。お客さんからすると、基本はまさに一期一会になる。しかし、演じるほうからすると、20日間や25日間連続で演じるので、構成が落ち着いてくれば、当然「飽きてくる」、もしくは「マンネリ」になる。つまり、緊張感を保つためのリフレッシュが必要になる。そこで、七之助はどうしたのか?下記につけた市川猿三郎丈のブログによれば、こういうことが起きていたとのこと。
***
夜長姫の語る国つくりの語源
「カニクニヲミテハ ネニモツユメヲ オニマニウケテ ムニシニマシタ」
この言葉をオオアマ(染五郎さん)から「しかと暗誦したか?」と云われ
私 ヒエダノアレイが すぐさま復唱いたします。
もし、夜長姫が違う言葉を発したら・・・。私 云えません(笑)
それを知ってか? 七之助さん 出の前に時々私のそばへ寄って来て
「今日は 違う事を云うかも? 聞いていてね」
と・・・耳元で恐ろしい事をささやいて 遠ざかって行きます。
まさに・・・夜長姫(笑) 
***
つまり、夜長姫として劇に緊張感が保たれるように先導しているのです。どのくらい意識してされているのか。恐ろしい34歳。
そういえば、中村屋に関するフジTVによるドキュメンタリー番組でも、七之助が年上のお弟子さんに芝居の注意・ダメ出しを出している場面を見たことがある。このリーダーシップは凄い。
https://blogs.yahoo.co.jp/enzaburou/40663483.html

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『野田版 桜の森の満開の下』

NODA-BAN: SAKURA NO MORI NO MANKAI NO SHITA
[Noda-version: Under the Blossoming Cherry Trees]
STORY :
This work, based on the novels of Sakaguchi Ango, was written by Noda Hideki for his theatrical company and is adapted for kabuki for the first time. Deep in a forest of cherry trees, it is said that something bad happens under the trees in full bloom. Is it because dead bodies are buried there, or is it the work of demons? It is the Era of Emperor Tenji (7th century). The king of Hida summons three master sculptors called Mimio, Manako and Ōama, and orders them to compete with each other in carving a Buddhist statue. This statue is to protect the king’s daughters, Yonaga-hime and Hayane-hime. However, each of the sculptors has something to hide: Mimio is a fraud because he took the position of a master sculptor by killing his master. Manako is actually a bandit wrongly taken to be a master sculptor after he murdered the real master while stealing. Ōama is a suspicious man of unknown origin. The three men are ordered to complete their Buddhist statues in three years. One day, Hayane-hime is found dead hanging from a cherry tree, and at the same time the Emperor Tenji passes away in the capital. The king of Hida grieves at the news of these two deaths. However, when Yonaga-hime sees her younger sister’s corpse a smile comes to her lips. Finally, the three years pass and the sculptors complete their Buddhist statues. However, each individual’s intentions become entangled…
現代演劇と歌舞伎の交わりを世代で考えることも可能である。父の17勘三郎(1909-1988)や同世代の6歌右衛門(1917-2001)の世代、彼らから習った18勘三郎(1955-2012)の世代。そして勘九郎(1981-)と七之助(1983-)の世代。
17勘三郎は歌舞伎を守った世代であった。もちろん、他の演劇に出ることはあったが、歌舞伎座では歌舞伎を演じた。それは6代目菊五郎、初代吉右衛門伝来の歌舞伎であっただろう。
18勘三郎は赤テントに行って興奮したというエピソードからうかがわれるように、歌舞伎を愛しながらも現代演劇にも強い関心を示し、現代演劇を歌舞伎に取り込みたいと考えた。それが一連の「野田版」に現れ、渡辺えりであり、宮藤官九郎である。歌舞伎役者が現代作家を登用して歌舞伎座で演じる現代歌舞伎であった。実質的には18勘三郎プロデュース、18勘三郎co-directionであったと思う。
勘九郎・七之助の『野田版 桜の森の満開の下』は、歌舞伎役者が現代の演出家により歌舞伎座で演じる現代演劇であった。もちろん、それを歌舞伎と呼んでもいいのかもしれない。おそらく、これまでの「野田版」よりも演出がよりクローズアップされているのかもしれない。
劇評家・長谷部浩は『この物語は、アーティストの耳男が、芸術の源泉となる力を追い求める物語である。彼にインスピレーションを与えるのは、夜長姫の美と残酷である。夜長姫は妖艶な美しさを放つばかりか、耳男の耳を切り取り、耳男のアトリエに火をつけることも辞さず、妹の早寝姫(梅枝)を自殺に追い込んでも平然としている。この二人の関係性が、勘九郎、七之助の踏み込んだ演技によって鮮明になった。』とブログで書いている。
http://hasebetheatercritic.blogspot.jp/2017/08/81.html
劇評家・渡辺保は『野田秀樹が歌舞伎の歴史に新しい一頁を書き加えた。 その一頁は、今月三部制の歌舞伎座の第三部「野田版 桜の森の満開の下」の大詰、勘九郎の耳男が七之助の夜長姫を殺すシーンの、幻想的な美しさである。』と書いている。
http://watanabetamotu.la.coocan.jp/REVIEW/BACK%20NO/2017.8-2.htm
私に見えたのは、勘九郎、七之助の丁寧な演技と、巳之助の自由な演技であり、亀蔵の『七五調で語りたい』であった。しかし、亀蔵は七五調で語れるようになると途端に窮屈になる。鬼は自由で、人は窮屈だ。扇雀はダジャレ満載だが、染五郎は窮屈だ。鬼の面は迫力があるが、仏像の顔はへのへのもへ字だ。鬼の世界と人の世界を交通するのは七之助の純真さと勘九郎の芸だ。二人の花道の引き込みは素晴らしい。
鬼が黒子であるという設定は秀逸であった。それは大きな二人桃太郎と共に歌舞伎座の予定調和的な歌舞伎のスタイルをくすぐっている。もちろん、予定調和の裏にどれだけの大変な苦労があるかもわかっており、スタイルを守ることも大変さもよくわかっているので、くすぐりにとどまる。

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