« 哲学との対応 | Main | 風の会:カンボジア支援 »

主体性と合理性

文化進化論をかじりだすと、主体性は数千年、合理性はたかだか数百年の「文化」なので、人類の文化史からするとほとんどa trial and errorの類のように思える。Homo imitansとしての人類を考えると、主体性や、合理主義を伴った主体性は「例外」的なものである。なぜそんなものが必要なのか?当面の妄想だと、真似だけだと自主的なfluctuationが造れない。予防できない。環境の変化に対応するだけになってしまう。なので、予防としての実験を自ら作るメカニズムが「文化競争」に勝つということかもしれない。ということで、trial and errorを起こす道具としての主体性や、合理主義を伴った主体性ということになるのかも。

別件では、ベンチマーキングは考えておくこと。一方で、真似する、理論なき学習としてのベンチマーキングがある。これはベストプラクティス思考でもある。他方、ミクロ経済学による方法論的個人主義を用いた合理的な思考結果は、実際の「実験結果」とシミュレーション結果と比べるベンチマーキング指標として使うのだ。この二種類のベンチマーキングは異なる。

|

« 哲学との対応 | Main | 風の会:カンボジア支援 »

Memo to myself」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




« 哲学との対応 | Main | 風の会:カンボジア支援 »