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マクロとミクロの議論:マクロ経済学の政策論を援用できないのか?

経済以外の国際○○交流のセミナーや、日本B国△△交流のセミナーなどに関して、ときどき思うことなのだけど、国際マクロ経済学の政策論を援用できないものだろうか。特に、ミルトン・フリードマン流の卓見は使えないのだろうか。

ご存じのように、ミルトン・フリードマンは卓抜な比喩を使いながら、国際マクロ経済の政策論をおこなった。例えば、変動為替レート制の良さをサマータイムを利用して議論した。日中の太陽を利用しようと思えば、実質で1時間早く早起きすればいい、1時間早く始業すればいい。その時に、方法は二つある。時間の進み方を変えずに、起床時間を午前6時から午前5時に変える、始業時間を午前9時から午前8時に変える。このようにすると、経済の諸所の時間(スケジュール)を全て書きかえることになってしまう。それは面倒だ。費用がかかる。フリードマンが提案したもう一つの方法はサマータイムである。サマータイム導入で時間を一時間進めることにより、我々の起床時間は午前6時のまま実際は1時間早くなる。フリードマンは、為替レートの調整により、賃金を個別個別の業種・企業において低くしなくても競争力が回復できることを議論した。

マクロの議論って本質的にこういうものだと思う。何かそのイシューにおける「為替レート」のようなものを見つけ出して、それをどう調整していくか議論することだと思う。つまり、起床時間をall Japanで個別に午前6時から午前5時に変えるにはどうしたらいいか、というのはあまり質の高いマクロの議論ではないと思う。非常に手間のかかる労多い作業だ。それをマクロで議論するってこと自体も不毛だ。そういうことはミクロの現場に任せておけばいい。ミクロの現場では、起床時間を一分早めるのにどういう工夫が必要か、いつもいつも議論して、実験して、フィードバックしている。現場ってそういうものだ。

日米教育交流で学生のmindsetを留学に向かわせようと変革しようとマクロで議論しているセミナーには、そういう労多さ感が漂う。否、漂っていなくてはいけない。端的に、それは「しごき主義」だ。確かに、学生がpro留学になるmindsetを持てば、留学の数は増えるだろう。しかし、それは労多いミクロの議論で、マクロの議論ではない。マクロの議論とは、何が「為替レート」なのか、それを調整していけばマクロの変数がどう増えるのか、実証するとどうなるのか、そういう議論だろう。もちろん、ミクロの参加者は学生のmindsetを議論する。それが現場だからだ。しかし、マクロの議論をするってことはそれだけでは済まない。マクロの研究者は「為替レート」の議論をしなければいけない。ミクロの議論だけなら、マクロの議論やセミナーは総じて不要だろう。

教育のマクロの研究者は、何が「為替レート」なのか考えているのだろう。いつかそれを教えてもらおう。そうでなければ、マクロの研究課題は無い。全てがミクロだ。

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