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2009年5月21日(木)毎日新聞(夕刊)

2009年5月21日(木)毎日新聞(夕刊)ポスト

らっこ・ライブ・レビュー:山下達郎 清冽な覚悟と誓い
 きらびやかな光を避けるように、都会の片隅で音楽の神々が遊んでいるようにみえた。ステージに用意された路地裏の光景、それ以外は何もない。そこにあるのは、人間が楽器を奏で、そして歌う、それも、音楽という行為に切磋琢磨(せっさたくま)しあう人たちの姿、それだけだ。
 しかし、音楽とは本来そうではなかったか。時には嵐を引き連れてきて、慌てさせられることもあるが、人の心に励みという灯を射し込み、癒やしという水で潤す。その音楽の力、それを信じ抜く覚悟を、山下達郎は改めて自らに課しているかのような、そういうライブだった。
 そもそも、大阪フェスティバルホールが取り壊されることになり、思い出深い会場への感謝と惜別とで思い立ったのだという。それが、本数にして50本、約半年にも及ぶ6年ぶりの全国ツアーになった。
 「クリスマス・イブ」や「RIDEONTIME」等々、気がつくと4時間がアッというまに過ぎていた。気鋭の若手ドラマーを迎えた演奏は清冽(せいれつ)に弾み、彼の歌は力強く響いた。たとえこれが最後になったとしてもかまわない、一つの言葉をも疎かにしない、それほど思いのこもった歌声だった。
 シュガーベイブ時代の「ダウンタウン」があり、竹内まりやが「September」を歌ったりと、嬉(うれ)しいプレゼントもあったが、それさえも彼の強い気持ちに勝りはしなかった。
 「蒼氓」という歌がある。頑なに権力や名誉を嫌ってきた彼の代表作だ。その曲の途中で、「ピープル・ゲット・レディ」や「風に吹かれて」のように、60年代に公民権運動や反戦運動と共に親しまれ、その後も人間の自由や尊厳を問いかけ続けてきた歌が挿入された。その時彼は、きっと、音楽の神々に大切なことを誓っていたのだ。5月11日、中野サンプラザホール。(音楽評論家・天辰保文)

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