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Reading Niall Ferguson's Empire (Part 12 and the Last)

 読了。今回は日本語で書きます。結論では、大英帝国と米国のinformal empireの比較がなされています。まずは、

(T)here is good evidence that the imposition of British-style institutions has tended to enhance a country's economic prospects, ... (p.369)

But which British institutions promoted development? (p.369)

答えは、1) British law and administration、2) nature of British governanceという(pp.369-370)。そして、David Landesの成長の条件を引用して大英帝国と比較している。

In short, what the British Empire proved is that empire is a form of international government that can work - and not just for the benefit of the ruling power. (p.371)

と述べて、最後の質問になる。

The final question to be addressed is whether anything can be learned from the British imperial example? (p.371)

stylized factとして、1870-1913(大英帝国時代)の世界の一人当たりGDPの成長率と1973-1998(米国のinformal empire時代)と比べて、それぞれ1.30%と1.33%でほぼ同じであると指摘している。そして、前者ではconvergenceが見られたのに対し、後者ではdivergenceが見られたと指摘している。第二次世界大戦後には、国がたくさん生まれ、そして内戦などの結果として小国が生まれたとしている。このpolitical fragmentationには二つの不利があるとしている(p.372)。一つは、内戦自体が経済的に悪影響がある。もう一つは、国の規模が小さいことが国の制度を整えるのに非効率、つまり規模の経済が生かせないという。
 では、米国は大英帝国の経験から何が学べるのかという質問になる(p.377)。

The hypothesis, in other words, is a step in the direction of political globalization, with the United States shifting from informal to formal empire much as late Victorian Britain once did. (p.378)

しかし、三つの点で米国のinformal empireは大英帝国と異なっているという。第一に、大英帝国は資本を「輸出」したが、米国はnet importer of capitalであり、第二に、大英帝国は人を送り出したが、米国は多くの移民を受け入れているという(p.379)。第三に、米国は、他の国民を治めることに気の進まない国である。要は、一時的に管理して、選挙をして、出て行くというのがお決まりのパターンであるという。つまり、米国というのは、

But it is an empire that lacks the drive to export its capital, its people and its culture to those backward regions which need them most urgently and which, if they are neglected, will breed the greatest threats to its security.  It is an empire, in short, that dare not speak its name.  It is an empire in denial. (p.381)

ということである。これを検証しようとしたのが、Colossus: The Rise and Fall of the American Empireであると言えるだろう。
 さて、divergenceと米国のnet importer of capitalおよび移民の受け入れは、おそらく論理整合性がある。すなわち、米国においてreturn of capitalが高く、賃金が高ければ、外国から資本も人も流れ込む。それが実現すれば、外国との所得ギャップが拡大し、divergenceが実現することになる。とすると、内戦および小国から来る規模の経済の欠如が重要なのかということになる。内戦の多さと小国の多さが、米国の「一時的介入→選挙→放置」という「国際統治」(=国際放置?)のやり方と関係しているのであれば、話としては均衡することになる。もちろん、ここから陰謀理論を引き出すことはできるが(economic hitman?)、それはあまり生産的でないだろう。米国の出生の経過(大英帝国からの分離)が影響していると議論したほうがより面白い。そして、それがColossusで実証されて行くのだろう。
 以前、Sternレポートに見られる英国の経済学者と米国の経済学者の立場の違いを分析するレポートがあったが、ひょっとするとこのあたりの議論と同期している可能性はあると思う。これも国際政治経済管理の話だからだ。
 読まず嫌いで恐縮だが、同名題の邦訳された別本を読むよりは、こちらを読んで本当に良かったと思う。この著者で読みたい本は、The Cash Nexus、The House of Rothschild、Colossusかな。なお、EmpireはTVシリーズの原作として書かれたようだ。彼は、The Ascent of Moneyという題でやはりPBSと組んで仕事をしているらしい。なお、Harvard Magazineによる2007年の彼についてのレビューを読むには、ここ。サイトからダウンロードもできるが、一応、自分の備忘録としては「0507-33.pdf」をダウンロード
 さて、1899年にRudyard Kiplingが書いた詩の始まりが、

Take up the White Man's Burden -
...

となるのだそうだ(p.380)。White Man's Burdenといえば、積読のイースタリーの本のタイトルだが、当然、キップリングをふまえているはずで、そもそも援助という概念自体、第二次世界大戦以降のものなのだろう。それ以前は、帝国で管理していたんだから。援助と帝国行政という二つの項目を一緒に考えられる枠組みは「国際行政論」であるはずで、その第一人者は城山英明氏だ。彼の「国際行政論」は現在の国際行政および狭義の国際行政を取り扱っているが、帝国のこともきちんと考えているはず。イースタリーに戻って、発展途上国への援助問題については、ポール・コリアーのThe Bottom Billionがhad-better-read bookになってきているけれども、まさに紛争と経済発展の第一人者であるだけに、第二次世界大戦以降の枠組みにぴったりあてはまる。コリアーがマーシャル・プラン時期のヨーロッパ復興相当の枠組みでアフリカを捉えるべきだと考えているのも符合する。

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