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立花隆『日銀はなぜ利上げを見送ったか 政府介入で失った「国家の冨」』 (2007/01/23)

 金利正常化支持者というのは、マクロ経済学者にはあまりいないはずで、それ以外の常識人や見識者にかなりいる(ちなみに、私は自分をマクロ経済学者とは認識していません、あしからず)。その一例として、立花隆氏がいる。これ。まさに金利機能正常化。

 若干検討してみよう。まず、立花氏は、状況として、日銀は金利機能を復活させたいと考え、そして、日銀が市場にいらざるショックを与えまいとして、日銀はかなり前から再利上げに向けての体制作り(その意図を市場に事前に伝えておくなど)を着々とすすめていた、とする。そこに、政府筋(中川秀直氏など)が圧力をかけたと指摘する。そして、一連の政府与党要人からの圧力が日銀の方針変更を導いたとしている。以上が、立花氏の事実確認であった。

 次に、金融政策への立花氏の理解である。金利など、通貨の価値と直結するパラメータは、通貨の価値を守ることを本来の任務にしている中央銀行が政治的思惑などとは離れて、独立に決定していくというのが、世界中の近代国家の大原則である、と主張する。

ゼロ金利というのは、世界の通貨金融史上まことに珍しい現象であって、こんなことが起きたのは、世界でもはじめてのことである。

このようなことは、経済学の常識上起こるはずがないことだった。

ゼロ金利・量的緩和がつづいている間、円はきわめて病的な状態にあった。

 実は珍しかったのはゼロ金利ではなく、デフレーションだったのである。この誤認は、奇病に対する特殊薬があったときに、奇病を珍しいとせず、特殊薬の使用を珍しいと驚く人と同じである。続いて、ゼロ金利時代には預金者の犠牲において、金融機関が救われたとする。そして、まとめに入る。

 そのような異常事態がつづく間にようやく経済が回復のきざしを見せて、資金の需要が上向きはじめたので、06年3月に量的緩和政策が解除され、06年7月 にはゼロ金利政策も解除された(誘導金利が0.25%となった)。その上に、さらに0.25%を積み上げ、0.5%の金利にすることで、日銀のオーソドッ クスな金利政策への本格復帰の第一歩にしようとしたのにそれが果たせなかったというのが、今回の騒動である。

 ここまでの経緯でわかるように、ゼロ金利・量的緩和などというものは、異常な状態(日本経済の事実上の破綻状態)がもたらした異常な政策というべきで、その状態から脱することが可能になったら一刻も早く脱すべきものである。

 そうでないと、また別の異常(たとえば、過剰流動性によるバブルの再燃など)がすぐに起こる恐れが強い。そしてそちらのほうが、今回の騒動で、再利 上げをおさえる側にまわった政治家たちが口にする景気の中折れ現象が起きる危険よりも、よほど恐ろしい結果をもたらすのである。

 あのバブルの時代をもたらした責任の相当部分が、国家経営を中心的に担っていた自民党政治家たちにある。そしてまた、バブル崩壊以後に起きた日本経 済の異常状態の相当部分の責任もまた、自民党政治家たちの野放図な日本国運営にあったのだということを、いまもう一度思い出すべきではないか。

 2人の中川(幹事長と政調会長)のような強権政治家的ふるまいを許していたら、日本はまたとんでもないことになる。

 さて、日本銀行は、次の二つの目的を達成するものとされている。

    日本銀行法では、日本銀行の目的を、「我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うこと」および「銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資すること」と規定しています。

    また、日本銀行が通貨及び金融の調節を行うに当たっての理念として、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を掲げています。

 そこで、この5年間の具体的な目標は、不良債権処理とデフレーションの克服であったと考えてよい。前者については、かなり進み、後者についても、とうとう年間ベースで0.1%というCPI成長率にまで漕ぎ付けた。そこで、量的緩和政策の終了にあたって、「新たな金融政策運営の枠組み」を2006年3月に公表した。ここで、二つの柱による点検が行われることになった。一つ目の柱は、むこう1年の経済・物価情勢について最も蓋然性が高いと判断される見通しについて、政策金利に関して市場金利に織り込まれている金利観を参考にしつつ点検するということでなる。二つ目の柱は、より長期的な視点を踏まえつつ、確率は高くなくても発生した場合に生じるコストも意識しながら、金融政策運営という観点から重視すべきリスクを点検することである。

 ここまで金融政策には、金利正常化という目的はどこにも書かれていない。それが、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を通じてのみ、意味がある。たしかに、国民の健全な発展に見合った「正常な」金利水準はあるであろう。しかし、それが恣意的に決まり、物価の安定を損なっては元も子もなし。物価の安定を確保する金利水準が正常な金利水準なのである(正確には、金利水準のパス)。さらには、二つ目の柱において、将来、デフレに再度陥るリスクがある場合には、当然、金利引き上げは先延ばしにしたほうがよいということになる。

 立花氏のような政治経済的な分析が、かえって独立した日銀法の理念を損なうとは皮肉である。あれだけ優秀な立花氏がこのような初級マクロ経済学+法律の解釈で誤るとはなんとも辛いことである。おそらく、この社会科学の識見の無さに日本知識人が抱える一つの辛さがあるのかもしれない。これは一般化のしすぎか?

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