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歴史依存性の解釈

 岩田副総裁の15日講演の要旨が出ました。より興味深いの記者会見部分ですが、こちらは今日アップされるでしょう。

 さて、歴史依存性について、ジャクソン・ホール講演に引き続いてコメントしています。該当部分と思われる箇所を抜書きします。

 量的緩和政策継続に関する条件は、2003年10月に3条件として明確化されました。具体的には、コア消費者物価指数の前年比が数か月均してみてゼロ%以上であること、先行きについても再びマイナスとなると見込まれないこと、などがその内容となっています。これらの条件が、満たされるのは大分先のことであると市場参加者が考える場合には、ゼロ金利の継続期間が長期化するとの期待から、「政策持続効果」が強まり、短期金利のみならずやや長めの金利に下押し圧力が加わることになります。逆に、条件が満たされる時期が接近したと市場参加者が考える場合には、「政策持続効果」は弱まり、金利が正常な姿に戻ろうとする力が働くことになります。

 「政策持続効果」が金利ゼロの期間が長くなっていくという意味であれば、このとおりです。しかし、「政策持続効果」というのが量的緩和政策に自ずと仕組まれた政策強化装置であるという判断だとすればそれはもうちょっと細かい議論が必要になると思います。例えば、price level targettingの場合、price levelが上がらない(つまりデフレになる)と、政策当局がcredibleである限り、より強い緩和をするとの期待が広がり(そして、その期待を政策当局は当然裏切らず)、結果としてより強い緩和がもたらされます。すなわち、期待を通して、市場は先読みをしていくということになります。ここでは市場の期待はあくまでもマネーサプライ側に対して、つまり供給側に対しての期待であり、政策当局はそれを裏切らず、より積極的な供給を行っていくという関係になっています。この意味で、price leve targetingは安定航行装置の役割を果たしていると言えます。

 「政策持続効果」を上記のように(つまり、price level targettingがもつ安定航行装置のように)解釈することは可能でしょうか。私はこれを書きながら考えていますが、言葉によるコミットメントの効果と実際の当座預金の積みの効果は異なるのではないでしょうか。前者にはたしかに安定航行装置が働く。しかし当座預金の積み増し部分については減少方法への期待によってはターボ効果が期待されるのではないでしょうか。「政策持続効果」なるものとして長期金利が下押しされるのは、市場が政策当局の更なる供給姿勢を読んで金利が下がる(供給要因)のではなく、単に需要要因からではないでしょうか。たしかに、その金利は今後の政策当局の短期金利運営への期待と首尾一貫していなければなりません。その意味では、付加的に長くなっているかもしれないですね。しかし、二つの影響が同時に発揮されるということになりますね。岩田副総裁はこの付加的な部分をコミットメントとして特筆していることになるようですね。

 さて、現在のように景気回復局面でCPIが立ち上がり始めているときに、この日銀のコミットメントはどのように位置づけられるでしょうか。金利データからは日銀のコミットメントへの期待+経済状況が首尾一貫された形で評価されます。日銀のコミットメント自体からは、たしかに量的緩和解除のタイミングが近くになると市場によって評価されるでしょうから、price level targetingのように安定航行装置のようになるかもしれません。問題は、量的緩和(=当座預金の積み増し)という重しの存在ですね。これがどのように引き下げられるかという期待によって、重しの重さが変わってくるはずです。つまり、いきなり6兆円まで一気に下げられる可能性があると市場が期待すれば、重しの意味はありません。この場合には日銀のコミットメントだけが残ることになります。しかし、当座預金を積んだときのように少しずつ小さくしていくと市場が判断していれば、市場は量的緩和からゼロ金利に移行する期間がそれなりにあると読むわけで、コミットメントをinstrumentから判断する材料が増えることになります。私は市場との対話手段を増やしたほうがいいと思うので、当座預金残高はmeasured paceで下げていくべきだと思いますし(例えば5兆円づつ)、それを来年の春(過ぎ)ぐらいから毎月下げていけばいいと思いますね。さらに、natural rate+インフレ率に近いところまで(2.5%ぐらい?)、0.25%づつ毎月あげていければ軟着陸だと思うのですけどねぇ。

 問題は当座預金の超過分をどう評価するかということですよね。実質的に意味があるのか、言葉のコミットメントを裏付けるシグナルの手段として位置づけるか、どう考えるかということですね。私は実質的に意味があり、それはターボ効果をもたらしていると思います。また、積み増しをしてきたこれまでどおりシグナルの手段として使うべきであり、但し下げるときにはmeasured paceで下げていくのがよいのじゃないかと思います。measured paceについての理論的なバックグラウンドは全く無くて、グリーンスパンの真似なんですけど。なぜmeasured paceがad hocよりいいのかというのは理論化できるんでしょうね。

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