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職種と企業

 磯田道史『武士の家計簿:「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮選書、2003年)を読了した。非常に良い本である。元になった家計簿は1842年から1879年まで続いているというので、ヒューバー(Richard Huber)の古典的な研究である"Effect on Prices of Japan's Entry into World Commerce after 1858"(JPE, 1971)の対象年と重なっているような気がする(要チェック)。とすると、一家計の視点から、もう一度、この重要な時期を再検討できるということになろう。

 また、こういう指摘を磯田氏はしている。これが今回のタイトルと関係している。

 思うに、江戸時代の猪山家は、由緒家柄を重んじる藩組織のなかで蔑まれ続けてきた。ソロバン役という「賤業」についていたからである。ところが幕藩社会が崩壊し、近代社会になると、この「賤しい技術」こそが渇望され重視されるようになった。由緒や家柄は藩内でのみ通用する価値である。藩という組織が消滅すれば、もう意味がなくなる。しかし、猪山家の会計技術は藩という組織の外でも通用する技術であった。この違いが猪山家を「年収三千六百万円」にし、由緒だけに頼って生きてきた士族を「年収一五〇万円」にした。

 毎年、こういう相談が学生からある。『私の内定した(or就活している)企業が買収されるかもしれないんですが、どうしましょう?』どうしましょうってなによ?とこちらが聞きたいところだが、まぁそう剣呑になってもいけない。もう10年ぐらい前のことであるが、就職か就社か?と言われていた時期があった。もう最近では言われなくなったようですが、まぁ今でも使える二項対立です。つまり、就職活動とは、<職に就くための活動>であって、その手段として会社に入る、ということになっている。まぁ一人で職が営めれば一人でやってもいいのだが、企業は往々にして効率がかなり高い、入れば経験も積める、そこで会社に入って、自分の職における能力を高めていこうというのである。当初の質問に戻ると、買収によって貴方の欲する職種が消滅するかが問題であろう。どんな暖簾をかけていても、志望する職種があるのであれば、当面は(つまりは3年ぐらいは)経験を積めるということになる。もちろん、買収によって企業のリストラクチュアリングが行われ、希望する職種がアウトソーシングにより無くなってしまう可能性もある。そうなるともう少し考えたほうがいいかもしれない。でも、その可能性はコングロマリットや総合商社にでも入らなければ一般に小さい。まぁそういうことも考えると、愛社精神nearly equal to愛職精神と考えてもおい。

 ところが、世の中にはより悲惨なことがある。政治変化や技術革新や生活の変化によって、該当する職種が消滅してしまうことがあるのである。上記の引用は、明治維新により藩が無くなり、武士という身分がなくなったときのことである。もしくは、「どこでもドア」が開発されたときの輸送業の運命を考えたらよいだろう。新幹線も飛行機も不要になり、当然、そういう業種そのものが、そして職種も消滅していくことになる。これは多少は考えておいても悪くないことだ(より身近な例としては、伊藤元重『ビジネス・エコノミクス』のタクシーの運転手の例を見よ)。

 ここまで考えてきたことは職種に応じた技術習得の選択の問題とも関わっています。7,8年ほど前であったかと思いますが、某長期信用銀行にお勤めの方と、メーリング・リスト上で意見がすれ違ったことがあります。たまたま、<あまり意味がない仕事技術>というお題だったかと思いますが、私が冗談交じりにあげたのは「会社の社内電話番号簿を全て覚える」というものでした。この技術は、該当企業が安定的に存在している場合には強い効力を発揮する場合がありますが、該当企業が消滅すると同時に(その企業を研究している研究者以外には)ほぼ不要になります。そういう例として挙げてみたのですが、某長期信用銀行にお勤めの方は「それは凄い技術である」と指摘され、私のポイントは理解してもらえませんでした。(お会いしたことはありませんが、ご意見を伺う限り)その方は社内電話番号簿を全て覚えるような人ではありませんでしたが、某長期信用銀行は2000年に新○銀行と名前を変えてしまいました。

 さて、覚えるということで最後にもう一つ。ロンドンには未だ行ったことがない(ちょっと恥ずかしい!)のですが、ロンドンのタクシー運転手になるためには、ロンドンの全ての通りの名前と位置を覚えないといけないそうです(ホテルとレストランの名前と位置も覚える必要があるらしい)。この場合、ロンドンの全ての通りを覚える技術は、ロンドンが存在し続ける限り(そして、「どこでもドア」が開発されなければ)、価値があるということです。そしてその可能性は高い。さらには、素人タクシーを排除して、タクシーを一定数に制限することによって、タクシー・サービスの質を確保し、ひいては道路の混雑を多少は緩和することもできるのだろう。もちろん、タクシー運転手によるカルテルの側面もあるのだろうけれど。

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