マンキュー経済学[第二版]ミクロ編パワーポイント日本語スライドなど

 マンキュー経済学[第二版]ミクロ編パワーポイント日本語スライドへのリンク『スペイン語で学ぶ日本経済論』講義パワーポイント(20時間用)へのリンク。電子新書『大学授業の型』(未完成版)へのリンク。

| | Comments (2)

都市の活性化とはurban regenerationと言う。

都市の活性化とはurban regenerationと言う。「まちづくり」とか「地域活性化」とかの単語にも場合によってこの単語は使えるはずです。

| | Comments (0)

ベネズエラ移民の状況

ベネズエラ移民の状況

こちらのIOMweb pageが詳しい。コロンビア、ペルー、チリが多い。但し、ボリビアの数字はない。これに関しては、一応、Wikipediaの数字がある。

| | Comments (0)

2019中南米大抗議: 感受性の無さが愚行を引き起こした

2019中南米大抗議: 感受性の無さが愚行を引き起こした

2019年秋、中南米の各地域で政治運動が起きている。エクアドルでは市民向けの燃料費補助が打ち切られたことへの暴動やスト、ボリビアでは大統領選挙での現政権への抗議運動、チリでは地下鉄料金値上げに端を発する抗議運動は、暴動に発展し、政府は夜間外出禁止令を出し、百万人をも超えるデモが首都で起きるに至り、ピニェラ大統領は内閣を総辞職させるまでに至った。これを総称して「大抗議」とも呼べるだろう。付け加えるならば、コロンビア・ボゴタ市での市長選挙に女性候補が勝利したことも「大抗議」の一端に加えることができよう。

「大不平等」を書いたブランコ・ミラノビッチ(LSE)は香港やレバノンの運動とまとめて1968年にも匹敵する運動かもと指摘しているが、本稿では中南米地域に枠を限定して、共通要因を考えてみたい。その下敷きとなるのは、Forgotten Continent: A History of the new Latin America (2017増補)を書いた英エコノミスト誌編集者マイケル・リード氏がチリのタ・テルセラ誌に寄せたインタビューである。

リード氏はこれらの抗議運動の中心は中間層であると述べながら、共通要因として三点を指摘する。第一に、各国での所得不平等を背景とした近年の経済不振である。第二に、政治家層での腐敗である。第三にソーシャル・メディアによる情報の拡散と伝染である。経済的な不満と政治家層への不信が、ソーシャル・メディアによる連帯運動に繋がったという診断である。

もう一点、ここでは指摘したい。なぜこのタイミングで大抗議が起きたのかという疑問への答えである。それは、所得不平等を背景とした社会層の分断と、それを背景とした上層の「感受性の欠如(insensitive)」による「愚行(insensatez)」が引き起こしたというのが私の回答である。抗議運動のきっかけはボリビアとコロンビアでの選挙を除けば、中間層にとって重要な燃料(エクアドル)や地下鉄の価格引き上げ(チリ)である。それを強行した社会上層(統治層)の間の「感受性の欠如」が中間層の抗議に火をつけたのである。中間層からすればそれは愚行であり、抗議をする動機になった。

この「感受性の欠如」による「愚行」は、長年の所得不平等を背景とした社会層の亀裂を表している。上層は中間層の痛みを感じることができなくなっているのである。そして、公共料金の引き上げtという愚行に至ったのだ。これはパンが食べれないならお菓子を食べればいいじゃないと言ったとされる「マリ・アントワネット症候群」と言ってもよいかもしれない。統治層である社会上層の蛸壺化がきっかけとなった愚行と言えよう。

注:
アントニオ・カルロス・ジョビンが1963年に出したInsesatez(愚行)のポルトガル語歌詞はヴィシニウス・ダ・モラエスであったが、英語化される時にノーマン・ジンベルがHow insensitive(感受性の無さ)として英語歌詞をつけた。そのことによって、「愚行」の歌詞が「感受性の無さ」に置き換えられたのである。

| | Comments (0)

Shock Ana Tijoux

メモ。FM東京で日曜朝にかかっていた。

Shock Ana Tijoux

https://youtu.be/177-s44MSVQ

| | Comments (0)

『AI時代の労働の哲学』

良い本だと思うんですが、なかなか勧めにくい。本書は『銀河帝国は必要か?ロボットと人類の未来』という著作と同時に書かれ、この後にいずれは『資本主義の哲学(仮)』という著作が書かれる位置づけの『AI時代の労働の哲学』という本なのです。つまり、(AI時代の)「労働の哲学」という本です。「労働の哲学」とは「どう働くか」という労働についてのhow to 本や自己啓発本ではなくて、「労働というものをどう考えるか」という本なんです。つまり、『資本主義の哲学(仮)』のprecursersが本書と『銀河帝国は必要か?ロボットと人類の未来』という位置づけになります。それでお勧めにはなりそうにもない。

そう、本書にでも出てくるのですが、中岡哲郎『工場の哲学―組織と人間ー』という本があり、この中岡本のミクロ・スコープをマクロにして、年代を2000年代に持ってくると本書の課題に近づくっていう気もします。もちろん、中岡本を誰が読んでいるか知らないので、これもあまりお勧めにならない。

そうそう、ロナルド・ドーアというもう亡くなった、昔は日本論の人としてよく読まれた書き手がいました。この人はIndustrial Relationsという鬼子のような学問の人で、それは産業社会論とミクロ=マクロ関係を成しているのだと思うのですが、ドーア2.0みたいなものを想定して、その視点を今に伸ばすとこういう本が書かれるのかなという気もします。

Industrial Relationsと産業社会論はミクロ・マクロで対になっている、これはあんまり言われてないことかもしれない。本書を読んで思った事の一つですね。

著者は社会学が凄くできて、哲学もよくできて、経済学もかなりできる人なので、そういう博識の人が何を言いいたいかを知るという意味でも面白い本だと思いました。それから、進化論と経済学を両方考えるためには、2万年と2千年と2百年の人類史を総掴みにする必要があるので、こういう本を読んでおくとよいのだろうと思いました。隔靴掻痒のメモ書きですみません。

| | Comments (0)

インサイドセールスという名の。

インサイドセールスという名の「自己啓発*テレアポ」(たぶん)。オレオ〇詐〇と方法論は似ているかも。行動経済学の応用。

| | Comments (0)

自己愛から隣人愛

『猿之助:(略)最初は自己愛しかなかったオグリが、試練を経て隣人愛に目覚める。そして、それが自分自身の歓喜へとつながっていく。』
演劇界2019年11月号、p.11

| | Comments (0)

現役性、表現、再現、型・魂、パッション、懐メロ

備忘録。

『何度も言っているけど、パッションなんだよね。演奏に対するパッションがあれば、古いも新しいもへったくれもないわけ。』

『(前略)そういう中で何をもって現役になるかというと、結局、基本的に演奏のポテンシャルなんだよね。
 あと、音楽というのは、特にコマーシャル・ミュージックは生活の対象化だから、それを聴いていた時に彼女と海辺を歩いていたとか、そういう記憶と不可分なの。審美的な音楽というのは、それよりちょっと先へ行くというか、生活の対象化の中に現代的な今の自分の視点がオーバーラップすることによって、普遍性というものが生まれるんだ。』

『現役性とは何か。』

『この時のライブも、自分のなかで過去と現在を重層的にフォーカスして、という発想でやっているから。』
(Tatsuromania no.111, 2019 Autumn, p.15)

コメント:

 ある瞬間、瞬間には型があって、その型を魂を入れるか、魂(性根)を入れながら型を演じることができるか、ということが重要になる。しかし、時間幅を伸ばして、企画立案、計画準備、実演(表現、representatation)という経過を考える時には、懐メロにならない現役性を意識する必要がある。そこでの魂がパッションなのだ。戦略的には、現代的な今の自分の視点がオーバーラップするかということだ。古典においては、古典がもっているテーマを大事にしながら、現代的な今の自分の視点がオーバーラップするか、ということ。すなわち、過去と現在を重層的にフォーカスしてという発想でやっているかどうか。

| | Comments (0)

キャリア・チェンジについての目安。

キャリア・チェンジについての目安。

第一、キャリア作りとしてのthe first job、最初の仕事。たしかに「2,3年働く」というのは「社会人になる」という意味ではありですが、ブラックな企業、自分に合わない仕事であれば、速攻で辞めたほうがいいです。新人一年目だと、夏に辞めて、秋から新卒採用の就活に紛れ込んだ事例もあります。第二就活というより新卒就活ができる企業もあります。

第二、3年働いて25歳になりました。これで全く未経験の仕事で取ってくれる(=新卒採用)が終わる可能性があります。そうすると、先方からオファーが無い、もしくは転職エージェントが案配してくれない限りは、自分の仕事の何らかの要素を繋げてずらして、転職をすることになります。要素とは、勤務地・作業(expertise)・能力(例えば語学)です。困ったら、転職エージェントを使います。

第三、35歳ぐらいまでだとキャリア・チェンジで大学院(MBAなど)が使えます。マスターをとって35歳前だといいです。この後は、業界は同じで転職していくというのが多いパターンです。いつも例外はあります。

第四、起業、つまり自分が自分のボスになる場合は、40歳前で二回目以上というのが成功の目安らしいです。

なお、昔から行っているキャリアのホップ・ステップ・ジャンプ理論では、ホップが上記の第一番目、ステップが第二番目、ジャンプが第三番目以降ということになります。

| | Comments (0)

ワインは最低どこまで知っていればいいか、服(attire)はどこまで考えるべきか。

ワインは最低どこまで知っていればいいか、服(attire)はどこまで考えるべきか。

2016年から2017年ごろに米国でベストセラーになった「アメリカの繁栄から取り残された白人たち」という自らの生い立ちについて書いた『ヒルビリー・エレジー』の後半に、スーツに白い靴下を履いてガールフレンドからたしなめられる光景が書いてあった。こういう何を着るべきかというの判断は難しい。生まれや育ちが出てしまうからである。

とはいえ、こういう形式にこだわりすぎるのも当然よくない。それから、多少は知っているとよいこともある。例えば、多少はワインの知識があるとご飯とうまく合ったりするからだ。

私はワイン通の友人に「お前は何のワインを飲んでも『美味しい』しか言わない」と怒られるぐらいの素養である。そりゃね、君が美味しいワインを選ぶからなんだけどね。とはいえ、数年に一回、学生から「ワインは最低どこまで知っていればいいか」という質問を受ける。白赤でブドウの種類を三種類ずつ知っていりゃいいんじゃないのと答えることにしている。白でソービニョン・ブラン種とシャルドネ種とあと一つ(マスカットでもリースリングでもなんでも)、赤でカベルネ・ソービニョン種とメルロ種とあと一つ(ピノノワールでもシラーでもサンジョベーゼでもテンプラニーリョでもマルベックでもガルナッチャでも)。葡萄の味を覚えちゃえばいいんです。

服は、最低限、最低限ですが、「襟があるか」、「ジーンズをはくか」、あとは「ジャケットを持って行くか」です。あとは「革靴を履くか」「靴を磨くか」です。そのあとは、「チノパンでいいか」「それ以上のズボンをはくか」です。そして、できれば、靴の色とベルトの色を合わせたい。ネクタイをつけるかつけないか、このくらいで終わりです。

| | Comments (0)

演劇界2019年10月号、歌舞伎と講談、 外国人から見た私的「歌舞伎の魅力」

演劇界2019年10月号、歌舞伎と講談、 外国人から見た私的「歌舞伎の魅力」

| | Comments (0)

城崎温泉、インバウンド、観光

試しに検索。

2018.11.01の記事

https://www.yamatogokoro.jp/inbound_case/27839/

 

2018/10/10の記事

https://eonet.jp/zing/articles/_4102572.html

『海外のお客さまは、日本人観光客と行動範囲が全然違っているんです。先ほど言ったような茶室体験はもちろん、海に行きたいという人がとても多いんです。実際に海に行って何をしているかはわかりませんが、海を絡めたプログラムに取り組んでみたいと思っています。』

シーカヤック、ウミウシ・アメフラシ、奇岩観光といったところか。海保全の施設、地質による公園などと結びついているか。

 

https://visitkinosaki.com

2.5 hrs from Kyotoだそうです。竹野海岸にカヤック記載あり。

 

改めて

Web Designing 201910月号

地域活性化成功のポイント

https://book.mynavi.jp/wdonline/

城崎/豊岡の話が面白そうだった。セカンドオピニオン。豊岡DMO、ネイティブ株式会社。

 

https://www.tripadvisor.com/Attraction_Review-g1022822-d1238308-Reviews-Kinosaki_Onsen-Toyooka_Hyogo_Prefecture_Kinki.html

どういう体制でコメントに返事をしているのかが興味。7/910に返事をしていて、その前は4/18あたり。おそらく現地日本人が英語でドラフトを書いてネイティブチェックがかかっていそう。そうでないと持続可能性どう?このあたりインターンシップと連携できているか。難しいんでしょうね。竹野海岸が海の行き先らしい。

 

https://www.gakujo.ne.jp/2020/company/baseinfo/12625/

ルレ・エ・シャトー加盟。

 

http://www.relaischateaux.jp/mem_jpn.html

 

| | Comments (0)

2020年度の大学入試改革―浜中淳子早稲田大学教授、高校生「学習離れ」防げず(教育)

2020年度の大学入試改革―浜中淳子早稲田大学教授、高校生「学習離れ」防げず(教育)
2019/08/12 日本経済新聞 朝刊 14ページ

以下が要約。
***
有力進学校(偏差値70以上)と中堅進学校(50台半ばから60台前半)を高校2年生2学期で比べると三点が指摘できるという。

第一、中堅進学校生徒の学習時間の少なさ、ふだんの学習時間(学校外)が30分以下が7割強。そして「自分は勉強を頑張っている」と主張する傾向にある。

第二、中堅進学校の生徒はスマートフォンやテレビ等に費やす時間が多い。

第三、大学受験の読み方に違いがある。「受験に合格できそうでも進学した後に勉強についていけなさそうな学校であれば、進学先として選ばない」の割合は、中堅進学校生徒は45.7%、有力進学校は15.5%。

インタビューでは、学力試験や入試種別と、学習時間には関係がない。そして、「1年以上も先の大学入試なんて、まだ頭の中にありません」が中堅進学校生徒たちの声であるという。
***

さて、この欄には記者の「ポイント」という不思議なコメントがつく(記名でなければ不必要だと思うし、しばしばポイント外れであることが多いと思われる)。(横)と記したた記者は、大学全入時代になったので、入試制度を変えても高校生の学習意欲を喚起できないと言っている。

論点は二点。第一、この状態はいつから始まっているか、第二、ex高校生の学習意欲は何によって影響されるかである。第一についてはどうやってデータで調べればいいか当面わからないが、記憶を辿っていくと6.7年前にはすでにあったように思う。濱中氏が述べているように「00年代を中心に高校生の学習時間の減少が話題になった」のである。こういう状態では、高校名が採用でのシグナリングにおけるシグナルとなるのもわかる。

第二については、20歳前後の新しい経験は学習意欲に影響を与える可能性はある。広義の人的資本理論は働いている。しかし、私の直観では、新しい経験が複数回(3回以上)は必要であり、さらに単なる経験ではなく、最初の数回は年嵩の人によるガイドが必要であり、更にそれだけではダメで、その上で自分オリジナルの経験をしてもらわないと立たないような気がする。これには時間もお金もかかるので、教育制度としてはほぼほぼ不可能である。高校で決まるというのも仕方がないところである。

おそらく「社会のしくみ」が人々をこのように誘導している。どこが社会変革の攻めどころかについては、本当に透明性だけなのかが宿題である。

さて、含意は当面三点。第一、大学経営からすると含意は以下のとおりである。有力進学校生徒が学生の大半を占める大学は、ゴリゴリの学習によってWarm heart and cool headの方向へ誘うべきである。有力進学校生徒が10%、残りの90%が中堅進学校を占める大学は、honors programを行うべきである。これが新しいシグナルを提供することになり、学習習慣がついている有力進学校生徒を適切に誘導することになる。中堅進学校生徒に対しては低学年から新しい経験を提供し、複数回の経験提供と自らのオリジナル体験の創生に手を貸すべきであろう。ただし、全員には提供できないことを謙虚にわきまえるべきだろう。

第二、アプローチとしてはカタリバ的な試みは妥当性はあるように思える。焼け石に水であっても気づきの提供として重要である。薄い数時間の接触が最初のアプローチとして重要なのだと思う。


第三、有力進学校ex生徒たちがお兄さん・お姉さん世代であるからと言って、中堅進学校ex生徒に個人レベルで波及効果があると過度に信じてはならない。顔は同じ、若さはだいたい同じであるが考え方が違う人々なのである。ですからTFA/TFJ的な試みも過度に信じてはいけないことがわかる。高校進学時点、もしくは中高一貫を前提とすれば、中学進学時点で差異化が始まっているので、下手をすれば人間不信になって共倒れしかねない。非常にタフな人が必要になる。もちろん、個人として偉大な人物が生まれる可能性はある。しかし、平均としては微妙なアプローチだと思う。

もう一点。生煮えアイデア。「新しい経験」の代表は国際経験であるが、総じて日本での活躍を目指す慶応大学が国際学部をもっていないことも示唆的である。不必要なのである。

| | Comments (0)

『弾左衛門とその時代』

塩見 鮮一郎 『弾左衛門とその時代』。

pp.124-126, 土地永代売買禁止令の影響が興味深い。

p.185, 助六の意休が弾左衛門だという指摘は興味深い。

どうも、武具に必要な革の職人を身分を押さえつけて縛り付ける制度だったような気がする。逃げられては為政者は困るのだ。

| | Comments (0)

ティール組織とSDGs

なるほど、SDGsってこういう風に使われるのっていうメモ。『ティール組織』にどのようにアプローチするかっていう話で、下記のコンサルは、企業が株主の構成を変えているんだという。つまり、利益追及する株主から、それ以外の価値を求める株主に替えているということだと思う。

さらにSDGsにはいろんなゴールがあるから、それに応じた形で企業の目標を決められるという。つまり、企業の利益追求から、SDGsのなかの特定のゴールをピックアップしてそれを金科玉条とするってことだね。

この場合、利益追求を株主から要求される圧力が低くなり、またSDGsの特定ゴールに乗ることで、利益追求の動機付けは弱まりこそすれ強くなくなります。つまり、結果として利益を追わなくてもよくなる。つまり、法人税は伸びない。税収ないから、公共支出が伸びない、SDGs達成しない、という風になる。

なんで企業(というより経営者たち)がSDGsに関心を持っているかというと、こういうところにもメリットがあったのね。やっぱりSDGsってあんまり良い筋道じゃないわ。簡単に自己充足できるのね。

https://eijionline.com/n/n7470c9eaa332?fbclid=IwAR1j0YsrKmB3WnVgjbuIvZ-SHh3jKA6uw_vNz4luYbnFWsnDhVa8VYrXPN4

| | Comments (0)

小林信彦11:『神野推理氏の華麗な冒険』(1977年)

小林信彦11:『神野推理氏の華麗な冒険』(1977年)。

太陽の連載である。本人はあとがきで<名探偵もしくは探偵小説のバーレスク化>と言っている。正しい。バーレスクとはWikipediaによれば「バーレスク(Burlesque) とは、有名な作品のスタイルや精神をカリカチュアしたり、その作品のテーマをこっけいに描く文学・戯曲、音楽のジャンル」ということである。burlaという言葉も中に入っている。

解説では山田正紀氏が『パロディを語るとき、それはすべてを語るか、そうでなければなにも語らないか、どちらかに徹底すべきだと、ぼくは考えているからだ。』という卓見を述べている。また、もう一つの卓見も述べている。『なんとなくおかしくて、読者をリラックスさせてくれるという才において、小林信彦氏に匹敵する作家は、おそらくいまの日本ではー唐突にきこえるかもしれないがー池波正太郎氏ぐらいしかいないのではないだろうか。』というものだ。

池波正太郎→小林信彦→橋本治という系譜をどなたか解き明かして欲しいものだ。東京生まれ、羞恥心と前に出たいという心の結合、当面は、そんなところぐらいしか思いつかない。

次は、小林信彦12:『唐獅子株式会社』(1978年)、である。

| | Comments (0)

小林信彦10:『オヨヨ大統領の悪夢』(1975年)

小林信彦10:『オヨヨ大統領の悪夢』(1975年)。

野性時代に連載された四つの短編をまとめたもの。もちろん、多少の関連はあるが、ある種の実験小説というか習作になっている。たとえば、「終末戦争」はその後、『 唐獅子株式会社』になっていく。

次は、小林信彦11:『神野推理氏の華麗な冒険』(1977年)、である。この前に『家の旗』があるが、これは未入手なので、当面、あるもので攻めていく。

| | Comments (0)

小林信彦9:『秘密指令はオヨヨ』(1973年)

小林信彦9:『秘密指令はオヨヨ』(1973年)。

解説の稲葉明雄氏は「観光小説」と形容しているが、前作に続いて「宝探し」である。稲葉氏が言うように筋に一貫性があり、読みやすい。日本人が海外団体観光に浮かれた70年代初頭の雰囲気もわかる。そして007などの冒険映画へのオマージュにさえなっているのだ。ひょっとすると、『オヨヨ島の冒険』を読んだ後に読むべきものかも。その後が、『大統領の晩餐』かしら。

次は、小林信彦10:『オヨヨ大統領の悪夢』(1975年)です。

| | Comments (0)

小林信彦8:『合言葉はオヨヨ』(1973年)

小林信彦8:『合言葉はオヨヨ』(1973年)

 これは週刊朝日に連載された。本人後書きによるように、伝奇小説の<宝の移動>パターンになり、香港と網走に行く小説であり、取材費が出るので取材が敢行されている。連載小説のダラダラ感が発揮されていると思う。

次は、小林信彦9:『秘密指令はオヨヨ』(1973年)、です。

| | Comments (0)

小林信彦7:『大統領の晩餐』(1972年)

小林信彦7:『大統領の晩餐』(1972年)

 名作だと思う。評価については稲葉明雄氏による文庫版解説が正確無比だと思う。求道小説でありそのパロディであり、その道が料理だというのが秀逸である。プヴァールとペキシュを持ち出すまでもなく料理は道であり、そして道のパロディになる。おそらくその理由は衣食住という本源的活動だから、道を求めること自体が笑いになってしまうことにあるのだと思う。そして、食については後に『ドジリーヌ姫の優雅な冒険』という快作にも繋がっていく。求道小説としては『唐獅子株式会社』にも繋がっていく。なお、『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』に連載されていたというホーム・ゲーム・アドバンテージがあるような気がしました。

次は、小林信彦8:『合言葉はオヨヨ』(1973年)、です。 

| | Comments (0)

«小林信彦6:『大統領の密使』(1971年)